2007年4月1日日曜日

谷田貝豊彦に告ぐ!!!

飛天御剣流という剣術があります。その最終奥義が「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」です。この技は師匠から弟子に、最後の最後に継承される技です。そして、この技を継承する方法、それは、弟子がこの技で師匠を倒すことなのです。まあ、漫画の話ですけど[1]。

本日2007年4月1日、COG の母体の一つである筑波大学応用光学研究室の谷田貝豊彦先生が宇都宮大学に移動します。むこうで待っている仕事は、この4月に宇都宮大学に新設された「光学教育センター」を立ち上げ、そして離陸させることです。センター長としての着任です。

僕は、筑波大学応用光学研究室の出身です。1996年、卒業研究の時、この研究室に配属に
なりました。その後、公式には常に応用光学研究室に何らかの席を持ち続けています。その間、電総研(現産総研)、Stuttgart 大学などへ、長期・中期で外に出ていた次期はあります。その間多くの師匠に会いました。でも、やはり、僕にとっての研究の師匠は谷田貝豊彦なのです。

そこから見たら、世の中は、どんな風に見えるのだろう、という場所があります。そういう好奇心を刺激する場所、そして、そんな場所に立っている人たちがいます。。僕にとっては、そこにいる人たちは Hans J. Tiziani[2] であり、Johannes de Boer[3] であり、Wolfgang Drexler[4] であり、そして、何より谷田貝豊彦なのです。

2000年、カナダのケベックで Optics in Computing という国際会議がありました。当時博士課程の学生だった僕は、一人でその会議に出かけたのです。そこには色々な国から研究者が来ていて、僕は挨拶とかしてみたりもするのですが、そこでは僕は「Yasuno」ではなく、「a student of Yatagai」なのです。悔しかったです。僕は「谷田貝の学生」ではなく「安野嘉晃」なのです。日本への帰り道、眠い頭でずっとその事を考えました。そして、日本に帰った僕が最初にしたことは、谷田貝先生のオフィスに出向いて「当分、打倒谷田貝を目標にします」と宣言することでした。谷田貝先生は「なにおう!」と笑っていました。

あれからもう7年のも経つのですが、未だに僕はその目標を達成できないでいます。だから、いまだに、谷田貝豊彦のいる場所から見える世界がどんなものなのか、気になって気になって仕方がないのです。

谷田貝先生の移動が決まってから、およそ2ヶ月、僕はあまりその事を考えないようにしていました。いままでの研究生活、11年、ずっといっしょにやってきたわけですから。やっぱり、なんというか、他に移ってしまうと考えるだけで、しょげてしまうのです。でも、いつまでもしょげててもしょうがないと思うのです。多分、これは、僕にとって最後のチャンスなのです。

筑波大の定年は63歳。谷田貝先生の定年まであと3年でした。それまでになんとか、谷田貝豊彦を超えてみたいと。勝負を始めた頃にはまだまだ時間はあると思っていたのに、最近では、もう、あと3年しかないのかと、あせりだしていました。その矢先の宇都宮大学への移動。宇都宮大学の定年は65歳です。あと3年があと5年に伸びました。延長戦です。そして、僕は、谷田貝豊彦と異なった組織に所属することになります。直接対決です。ついに、この時が来たのです。

それでは師匠、最終奥義の継承をお願いします。

Joschi

[1] 「るろうに剣心」です。
[2] Stuttgart 大学技術光学研究所 前研究所長
[3] Massachusetts General Hospical OCT グループのリーダーの一人です。
[4] Cardiff 大学の OCT グループのリーダーです。

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