2007年4月8日日曜日

「悪口」と「悪口もどき」の話

『見えないところで友人のことを良く言っている人こそ信頼できる』。フラーという17世紀の神学者の言葉らしいです。まあ、漫画で引用されてたのの再引用ですが[1]。

僕の研究の兄貴分に、いるんですよ。悪口言う人。ある大学の教授なんですが。本人の見えないところで、さらに、本人の目の前でも。でも、彼の言う悪口、なんだか気分がいいんですね。聞いてて、嫌な気がしない悪口なんです。

先週、その先生が筑波に来ました。その時、いっしょに飲みにいったのです。で、やっぱり言うんですよ。悪口。そこにいない人間の悪口も、いる人間(僕!)の悪口も。口が悪いんですね。でも、聞いてて気分がいいんです。なんだか、さわやかな悪口なんです。

それで、なんでかなぁ、と、考えてみたわけです。考えて考えて、一つわかりました。その先生の言う悪口は「人」に対する悪口ではないんですね。「行動」に対する悪口なんです。罪を憎んで人を憎まず、というか。「悪い行い」を批判するんです。でも、「人」の事は決して悪く言わないのです。むしろ、よく聞くと、褒めているのです。好きなんですね。人の事が。どんなに誰かを批判していても、結局その人の事が好きなのではないかと思います。いや、「なのではないかと思います」というよりは、そういう感じが、ふわふわ伝わってくるのです。だから、その先生の口の悪さは、他人のことを言われていても、自分のことを言われていても、聞いていて気持ちがいいんだと思います。悪口のふりをした褒め言葉というか、なんというか。愛情表現なんですね、たぶん。本人は否定すると思いますが。だから、堂々と本人の前でも、当人の悪い点を指摘するんだと思います。愛情表現ですから。影でこそこそやっていても、気持ちは伝わりませんから。まあ、本人はさらに否定すると思いますが。

その先生のそういうところ見ていると、僕なんかは、まだまだダメだなあ、と思います。他人の事悪く思わないようにしていても、ちょっとしたことでダークサイドに落ちてしまいます。人を嫌いになってしまうこともあるし、感じている以上に人の事を悪く言ってしまうこともあります。あとで反省しても、一朝一夕にジェダイに戻れるわけではありません。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、努力はして行こうと思います。

それで、いつか、僕も、その先生のような『見えないところで聞いてて気分のいい悪口』を言うような『信頼できる人間』になりたいと、本気で思ったりもするわけです。

Joschi

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