2007年4月29日日曜日

Review: JabRef

最近はめっきり、図書館に論文をコピーしに行くことはなくなりました。いや、論文、読まなくなったわけじゃないですよ。むしろ昔より読んでます。でも、図書館に出かけて「紙のコピー」をとることって、なくなりましたね。だって、最近は、ほとんどの論文がインターネット経由で PDF でダウンロードできますから。

ある論文を読んでいて、そこで引用している別の論文が気になったら、すぐにネットでダウンロード。論文読む数も増えますし、手持ちの PDF の数も増えていきます。一本の論文から複数の参考文献を引いて、さらにその参考文献から孫引きしていくわけですから、文字通りネズミ算的に増えるわけです。

で、その結果どうなるのかというと…

一、 デスクトップが PDF でいっぱいになる。
二、 しょうがないので一つのフォルダにまとめる。
三、 でも、結局数が多すぎてほしい時にほしい論文が手に入らない。
四、 しょうがないので、またジャーナルのサイトから同じ論文をダウンロードする。
五、 すると今度は、単に無意味に PDF の数が増える
六、 PDF の数が増えたのでさらに論文は見つからなくなる。

まさに六道輪廻。無間道です。そんな僕をニルヴァーナ(涅槃)に導いてくれたのが JabRef でした。

JabRef は GPL というライセンスの下で配布されている Java ベースの文献管理フリーソフトです。論文のタイトル、著者、ジャーナル、ページなどをデータベースとして保存・管理してくれます。また、データベースそのものはは LaTeX という(多くの技術屋が愛して止まない)組版システムで用いられる bibTeX 形式になっています。ですから、あなたが LaTeX で論文を書いているのであれば、各文献につけたタグを自分の原稿に書き込むだけでそのまま参考文献として引用できます。

この JabRef、この手のフリーソフトの常として「開発者=ヘビーユーザー」です。ですから、ユーザーのかゆい所に手が届くようにどんどん改良されていくわけです。どの辺に手が届いているのかというと…

まず、単純な検索式を組み合わせることで、大量の論文の中から素早くほしい論文がみつけられます。さらに、文献と PDF を関連付けることが出来ます。つまり、検索でほしい文献をみつけて、その脇の PDF アイコンをクリックするだけでその文献の PDF ファイルが閲覧できるわけです。(ちなみに、この機能、PDF だけでなく、Word や PowerPoint など、どんなファイル形式に対しても使えるようです。)また、文献とURLを関連付けることもできますから、Optics Express みたいにマルチメディアファイルのついてくるジャーナルは、マルチメディアファイルをURLを登録しておけばすぐにそのファイルのダウンロードページを開くこともできます。

また、論文情報の登録自体がめんどくさい!という人は CiteSeerPubMed などのデータベースから文献情報をインポートすることもできます。(Web of science からインポートできないのは玉に傷ですが…)

そして、なによりも使いやすいのが文献のグルーピングです。各文献を「グループ」に登録することができるのす。たとえば「××論文の参考文献」というグループを作ってそこに××という論文で引用されていた参考文献をすべて登録しておくことができます。で、実際に××を読んでいるときにサクサク引いて内容を確認できるわけです。また、グループは、「フォルダ分け」とは違ってひとつの文献をいくつものグループに登録することができます。ですから、「この文献はどっちのグループに入るの?」と悩む必要はありません。両方に登録すればいいのです。さらに、このグループ化は動的に行うこともできます。例えば「タイトルに OCT とついてる論文」という動的グループを作っておくと、自分でわざわざグループに登録しなくても「タイトルに OCT とついてる論文」は自動的にそのグループに登録されるのです。

僕自身最近では、この JabRef、すでに文献管理を超えた使い方をしています。例えば、自分や同僚が投稿中の論文も登録しています。これをしとけば、外の人間と議論をしているときに、すぐに「未発表」の資料をとりだすことができます。未発表の資料は当然ながらネットで落としてくるわけにいきませんから、これが非常に便利なのです。

また、僕自身が現在レビュアーとして在査読している論文も登録しています。この時、文献情報に peerreview というキーワードを追加しておきます。そして、そのキーワードをもった論文は自動的に「査読中」という動的グループに登録されるにようにしています。

さらに最近では、プロジェクトの資料もこれで集積しています。関連文献はもとより、内部資料(PDF だけでなく、Word や PowerPointなど)、関連したデバイスのカタログ、そのメーカーのURLなんかも「文献」として登録します。で、それを「~プロジェクト」というようなグループに登録してしまうわけです。必要であれば、関連メールなんかもファイルとして保存して、JabRef に登録してしまいます。そのプロジェクトに関する資料は参考文献からスタッフとのやりとりメールにいたるまで、すべて JabRef から閲覧、検索できるわけです。

たぶん、同様のことができるソフトは他にもいろいろあるんだと思います。でも、JabRef はオープンソースでフリーです。さらに、他の大規模なソフトに比べて、コンパクトで単純なソフトです。

僕は、単純なものを色んなふうに工夫して使うのが、面白いなあ、と、思います。

Joschi

2007年4月27日金曜日

隙間から生まれるもの

「逢魔刻(おうまがとき)」というのがありますね。昼と夜の隙間の時間。昼にお夜にも属さないような空白の時間です。そういう空白には、なにか不思議なものが産まれたりもするようです。

技術屋という仕事をしていると「すごいやつ」に出会うことが多々あります。「なんでそんなこと思いつくんだよ!」というようなことをばんばん思いつく人。ああいう人って、どうやってあんな面白いことを考え出すんっでしょうか。先日、イギリスのロフブロウ大学で開かれたホログラフィーと光トモグラフィーの研究会に参加してきました。招待者29人だけの小さな研究会です。そこに、その「すごいやつ」がごろごろしてたのです。

研究会はその29人が順番に自分の研究を発表する形で進められます。ただ、普通の学会とは違って、発表の途中でみんなが意見をつけるんですね。発表している本人が、寝ても覚めてもそのことだけ考えて研究に対して、今日初めてその話を聞いた他人が口をはさむわけです。「質問する」だけではなくてさらに質問をきっかけにして「意見を交換する」のです。その意見交換の中で、その技術に対して新しいことがわかってきたりもします。やってる本人も気づいてなかったような「面白いこと」や「新しいアイディア」が見つかるわけです。

まるっと三日、そんなことをしているうちに「あれ?」と思ったのです。この「面白いこと」、いったい誰が「考え出した」んでしょうか。研究を説明してる本人?それに質問した人?その質問に対して意見を付けた人?僕は質問もしたし、意見もつけたし、その中で「新しいアイディア」にも思い当りました。でも、その新しいアイディアは自分で思いついたわけではないのです。それに関しては自信があります。僕は、そんな面白いアイディア思いつくようなすごいやつではないですから。きっぱりと言い切れます。

ここからは僕の想像なんですが、ほんとに面白いアイディアというのは、人と人のぴったりくっついた隙間から、ひょろりと出てくるんだと思います。だって、一人の個人が一人だけの知恵で思いついたことなんて、所詮その一人を超えることはできないと、やっぱり思うわけです。だからたぶん、研究者には「アイディア豊富な研究者」も「アイディアが乏しい研究者」もいないのです。「アイディアが生まれる隙間」が豊富にある環境と、「アイディアが生まれる隙間がない」ような一人ぼっちの環境があるだけなのです。たぶん。

こういう風に書いてしまうと、人間の創造性を否定しているようで、なんだかつまらないような気がするかも知れません。でも僕は、研究会で出会った人たちとの隙間から、ひょろりと顔をだしてきた、この、「人と人の隙間という『虚(うつろ)』からアイディアという『存在』が生まれる」というこのアイディアに、興奮したりもするわけです。

Joschi

2007年4月22日日曜日

研究室ゼミの功罪

Social bookmark service (SBM) というのがあります。Web site を見ていて、気になるページがあったらそれをオンラインのブックマークに登録。そのブックマークをネット上で公開できる、というやつです。これを使って「研究スタッフの間で文献・技術文書の情報のい共有」ができないか、と考えています。

そもそものきっかけは「研究室ゼミ」でした。担当の学生が論文を一本選んできて、それをみんなに紹介する、というやつです。日本の大学の研究室、特に技術系の研究室では一般におこなわれている勉強会です。その研究室ゼミ、本当に意味があるの?と、ある日思ったのです。その理由は以下のとおり。

まず、論文を紹介する学生自身が必ずしもエキスパートではないこと。研究室ゼミで論文を紹介するのはほとんどの場合学生です。読んでいてい理解できないところもあるでしょうし、それ以上に「間違って理解している」という場合があります。この結果、究室全体のその論文に対する理解はその「間違った理解」で統一されてしまうことになります。各人が直接文献をよめが誰かが気づくことなのに!!

次に、研究室ゼミのせいで逆に「日頃から論文を読む癖」がつきにくいこと。まあ、研究室による差はあると思うのですが、少なくとも僕が学部の4年生の頃、僕も含め同級生たちは「論文はゼミのために読む物」というような理解をしていました。もちろん、本当は、気になった論文はその場で目を通す!が基本なわけですが。気になった事を知ることに、ゼミなんてほんとまったく関係ないのです。

最後に、「ゼミで発表する」ことを意識して「完璧」な論文読解を目指すあまり、論文を読む絶対量が減ること。ゼミ発表用に、「先生にどこを突っ込まれてもいいように」論文を読む、周りに説明できるように「日本語に訳す」こういう重要でない中間目的がどんどん時間を浪費させていきます。「日本語に全文訳」なんてことはさすがにないと思うのですが、英語の論文を日本語で的確に説明できるように準備すること自体、普通に論文を読むのの何倍も時間がかかります。「言葉を理解すること」はその言語圏に住んでいる人間ならだれでもできますが、「言葉を翻訳すること」は素朴な日常では要求されない特殊なスキルなのです。そして、なんだかんだで最終的に「時間がないので論文を読めない」という事態に陥ります。本末転倒です。

そんなわけで、僕たちの研究グループでは「研究室ゼミ」は行っていません。週に一度の進捗報告ミーティングがあるだけです。実際、「研究室ゼミ」を廃止してから、みんな以前よりずっと論文を読むようになりました。学生もスタッフも気になる論文が出たら、たとえアブストだけでも、すぐに目を通します。もちろん、重要な論文はすぐに本分まできちんと読みます。そして、オフィスでの雑談のなかでその論文に対する意見交換をするのです。確かに、一人で読んでいるわけですから誤読もあるわけですが、全員が同じ論文を別個に読み、そして意見交換することでそういう誤読も訂正できるわけです。さらに、新しく研究室に入った学部の4年生は「論文は自分で勝手に読むもの。そうしないと雑談にもついていけない」という常識がすりこまれます。

このゼミ廃止とそのカウンターによる読む文献数の増加、かなりうまくいったのですが、ひとつ問題がみつかりました。一人がたまたま見つけた「その時点で緊急性のない論文」が他のスタッフの目に触れない、という問題です。例えば、誰かが論文誌をぱらぱら見ていて、面白い、でも、今の仕事と直接関係ない論文を見つけたとします。もし、研究室ゼミがあったら、そいういう論文はきっと紹介されるでしょう。だって、他の人はたぶん読んでないわけですから、みんなに「紹介」するにはうってつけです。でも、逆に、ゼミがなければ、そんな論文のこと人にはいわないんですね。わざわざ人を捕まえて教えるほどの緊急性はないわけだし、なにより、人に言う前にわすれてしまうわけです。でも、以外にそういう論文に転機が隠れてたりするわけです。隣の席で座ってるやつの研究テーマを発展させるようなきっかけが。

そんなこんなで、「研究室ゼミ」をやらずに、「より効率的に文献情報を共有するには」ということを考えました。その一つの答えが「social bookmark (SBM)の利用」です。たぶんどこでもそうだと思うのですが、最近は紙の論文誌で論文を探すことなんてありません。論文誌の新しい号が出たら、それを自動配信のメールか RSS の更新で知って、ネット上で目次を読む、というのが普通でしょう。もちろん気になる論文もネットでダウンロードするわけです。

そこで、気になった論文を SBM に登録して公開することを考えました。さらに、研究室の仲間に公開する文献には常に同じ tag をつけるようにします。たとえば MyProfession とか。で、研究室のほかのメンバーは僕 SBM の中の MyProfession tag の RSS を各自の RSS リーダーに登録しておくわけです。これで、僕が見つけた気になる論文は全部研究室の人間の眼にとまることになります。声なんかかけなくても。さらに、はてなブックマークLivedoor clip を使えばブックマーク登録時にコメントを付加できますから、簡単な要約や意見をつけてより強く他のメンバーの気をひくこともできます。それを見たメンバーは、タイトルなり要約なりを見て続きをみることもできますし、しかとするのも自由です。この「しかとできる」というのが重要なのです。相手がしかとできるからこそ、相手の都合も考えず、みつけたものはとにかく知らせられるのです。きまずい思いなしに。また、さらには、「見つけたけどまだ読んでない論文」や、「自分は大して興味ないけど、きょっとしたら別のだれかは興味をしめすかも」という論文を「人目につけさせる」ことができます。そして、これを研究室全体でやることで、文献情報が共有できる、というわけです。また、この方法、RSS リーダーも SBM も、今現在それぞれのメンバーが使っているものをそのまま利用できますから、ユーザートレーニングが不要というメリットがあります。

この「SBM 仮想ゼミ」、実は僕たちの研究グループでもまだ始めてみたところです。はたして効果が出るかでないか、僕としては興味津々です。なにか面白い状況になったら、そのうち報告したいと思います。

Joschi

追記
最近医学部のゼミに参加するようになり「やりようによっては研究室ゼミも有意義なものにできるかも」と思うようになりました。この話はまた後日。

2007年4月18日水曜日

プログラミング言語の躁鬱

今日は、ちょっと躁鬱ぎみの友人の話をしようと思います。といっても、人間の友人ではなく、プログラミング言語くんです。

いろんな言語でプログラムを組んでいると、それぞれの言語・実装に個性…というか「性格」みたいなのがあるなあ、と、思うことがあります。

たとえば、lisp なんか、神経質ですね。芸術家肌です。理想主義者であるがゆえに、生きているのがつらそうです。でも、僕のような人間にはたどり着けない精神的な境地にいるのでしょう。思わず守ってあげたくなります。

逆に Perl なんておおざっぱですね。どんな記述法でもうけいれるし、ちょっとやそっとのことで落ちることもありません。タフなんですね。もしくは、人の言うことなんて聞いていないのでしょう。一見わがままにも聞こえますが、このタフさ、付き合っていると非常に心地良いです。

C は質実剛健ですね。どんな命令にも文句はいいません。ただコツコツこなします。無茶な命令にも黙って従います。その結果システムを不安定にすることがあっても、全く責任は感じないようです。逆に、無茶な命令で自分自身が落ちるようなことがあっても誰を恨んだりもしないようです。ドライです。彼は、多分、職務に忠実なのでしょう。

そんな個性豊かなプログラミング言語の中で、僕が「こいつ、アップダウンはげしいなぁ」と思うのが LabVIEW です。

こいつ、調子のいいときはバリバリ調子がいいのです。のりのりです。こんな精神状態の時はちょっと命令しただけで命令以上の成果をバリバリだしてくれます。躁なんですね。きっと。ところが、大量のメモリを扱う必要がでてきたりしてストレスがたまってくるとだんだんと雲行きが怪しくなります。そして、(多くの場合、メモリが尽き果てて)鬱の状態にはいります。

普通、プログラムはメモリが尽き果てるとあきらめてさっくり落ちてしまうんですね。ところがLabVIEWくんは違います。無理なのがわかっている状況でも、果敢に何とかしようとするのです。ゴリアテにいどむダビデのように勇敢です。でも、やっぱ、無理なものは無理なんですね。ダビデだと思っていたらドンキホーテだった罠です。結局、落ちるものは落ちるのです。問題はその落ち方です。彼はまじめです。いつも、最後の最後までなんとかしようとするのです。そして、その結果、かなりの割合で周りのプロセスを道連れにします。「俺、もう、処理できないよ、どうしよう?どうしよう?もうだめだー」と周りに言ってるのです。(勝手な想像ですが。)たまりませんよ、そんなこと耳の横で聞かされ続けた日には。さっきまで調子のよかった周りのプロセスもだんだん鬱になってきます。そして、結局、周りのプロセスを道連れにして、へたをすると、PC 全体を応答不能にして、それから自分が落ちるのです。まあ、善意でとらえるならば、まじめなんですね。最後まで期待に答えようとしてしまうのでしょう。気持ちはわかるけど、できれば、やめて欲しいものです。

そんな LabVIEW くん、先日、めずらしく非常に思い切りのいい落ち方をしました。僕は巨大な3次元データをメモリに読み込むプログラムを書いたのです。そして、そのプログラムを実行したところ、その瞬間!LabVIEW だけが、まわりを道ずれにせずにスパッと落ちたのです。

なんだかすがすがしい気分の午後でした。

Joschi

2007年4月14日土曜日

技術屋と臨床屋の話

僕達 COG の研究プロジェクトの一つに「Optical Coherence Angiography (OCA)」というのがあります。光コヒーレンストモグラフィー(OCT)の技術を使って、眼底の血管の構造を可視化しようとプロジェクトです。

このプロジェクトの背景には二つの技術があります。一つは蛍光眼底造影。実際に眼科医療の現場で用いられている技術です。まず、静脈から蛍光色素を注入して、その蛍光色素の発する蛍光を撮影します。これによって眼底の血管・循環の様子がわかります。もう一つは Doppler OCT。OCT信号の位相情報を解析することで、血液の「流れ」を可視化する技術です。

この Doppler OCT という技術、「流れ」を検出する技術なのですが「速度」を検出する技術ではないのです。もちろん、流れの速さが速度なわけですから「速度」がわかってもよさそうなものなのですが、実際には「速度」を求めるためには「流れ」の「方向」を正確に知る必要があります。そして、その流れの方向を知るというのは、非常に難しいのです。特に、生きているヒトの眼底では。

この「速度がわからない」という点は、Doppler OCTの大きな欠点の一つでした。実際に、最初のデモンストレーションから10年たった現在に至るも、Doppler OCTの臨床上有効な応用というのは見つかっていないのです。

そこで、僕達が考えたのが「Doppler OCTを(速度を計測することではなく)、血管の形状のコントラストするための機工として使えないか?」というものでした。これが OCA プロジェクトの始まりです。まず、Doppler OCT 信号を的確に処理して表示することで、3次元の血管構造の可視化に成功しました。これに、蛍光眼底造影 (angiography) にあやかって、Doppler OCA という名前をつけました。蛍光眼底造影のように(人によっては強いアレルギー反応の出る)蛍光色素の注入を用いずに、同等の情報が得られる技術、という意味です。

このOCA プロジェクト、エンジニアからの評判は非常にいいのです。3次元で表示された生きたヒトの眼底の血管構造というは、画像として、非常にインパクトがあるのです。ところが、この技術、医療サイドからはなんとも受けが悪いのです。

ちょっと考えてみれば、その理由は簡単なことでした。眼科医は「血管の三次元構造」には興味はないのです。「病気の状態を知る」ことこそ重要なのです。そこがエンジニアの視点から眼科現場をみていた僕達の落とし穴でした。僕達は眼科のお医者さんたちがFA、もしくはICGAと呼ばれる蛍光眼底造影写真を「見ている姿」を見ていました。そして、「ああ、ああいう血管の構造が見てみたいんだな」と勝手に思っていたのです。でも、それが間違いでした。間違いの原因は、僕達は「見ている姿」を見ていたことです。僕達がほんとに見なければならないのは「見ている姿」ではなく「見ている物」つまり、造影写真そのものだったのです。

OCA プロジェクトが始動してしばらくして、僕達は眼科医の先生達と組んで、自分たちの作った装置で実際に自分たちで患者さんの検査を行うようになりました。そうするうちに、今までとは違った見方で物を見るようになったのです。つまり、「見ている姿」を見るのではなく、「見ている物」に興味を持つようになったのです。「ここに映っている過蛍光はいったいなんだろう、この黒く映っている部分にはいったい何があるのだろう」という風に。

そうやって自分たちで蛍光造影写真をみていると、すぐにあることに気づきました。血管の形なんて、実はたいして重要じゃないのです。もっと重要なのは、蛍光色素の時間的な変化や、色素の映り方そのものなのです。こんなこと、実際の臨床現場にいればすぐに気づくことです。でも、気づかなかったのです。エンジニアの僕達には。臨床現場を外から眺めて、暗い実験室の中でまして正常眼だけを計測していた僕達には、まったく見えていなかったことなのです。自分たちでやってみて、初めてわかったことでした。お医者さんから間接的に教えてもらうだけでは、だめだったのです。

僕達 COG が、他のグループに対して持っている一番大きなアドバンテージは、技術そのものではなく「臨床のお医者さんが好き勝手に出入りできる」、この環境です。僕達エンジニアは医師に奉仕する立場でもないし、医師は僕達のためにデータを提供する存在でもありません。技術屋と臨床屋、この二種類の人間が対等に渡り合ってこそ、初めて役に立つものが出来るのではないかと思います。そして、この「対等な渡り合い」が究極的になると「臨床屋と技術屋」という境界は限りなく消滅するはずです。もし、あなたが技術屋で、そうなることを望んでいるけれども「医師免許のない自分は医者にはなれない」と思うのであれば医師免許をとればいいのです。「医師」や「開発職」は職業の名前であって、人間の本質的な区分ではありません。

僕は、技術屋の視点と心を持たない大きな大学病院が行っているような技術開発プロジェクトが成功するとは思いません。でも、それと同時に、臨床屋の視点も心も持たずに進められている工学部主導の医療機器開発プロジェクトが成功するとも思いません。

僕は最近、医工競争という言葉を好んで使います。医と工が互いの領分をまもって協力する「医工連携」ではなく、互いが互いの領分を奪い合うぐらいの気持ちで一緒に働く、切れば地が出るぐらいの「医工競争」です。そうでなけければ本当の協力は生まれないと思うからです。でも、本当は、「医工競争」も、まして「医工連携」もまだまだ不十分なのです。「医」と「工」を区別している時点で。まだ、理想からは程遠いのだと思います。

今、僕達の OCA は、「使えない技術」です。でも、いつまでも使えないわけではありません。なぜなら僕達 COG は、尊敬できる臨床屋と交流することで、臨床屋の視点を手に入れました。そして、今僕達と一緒にがんばっている臨床屋は技術屋の視点を手に入れています。そんな環境の中で OCA はさらに進化を続けています。数年後、この技術が多くの人を失明から救うことができればと思います。

Joschi

2007年4月13日金曜日

博士の異常な愛情の話

半ば趣味的な僕のプロジェクトの一つに「SmartProjection」というのがあります。3次元OCT の撮影結果を精査するためのビュアーの開発プロジェクト。

SmartProjection を作る前は、3DViewer という LabVIEW ベースの自作の簡易プログラムを使っていました。ただ、これ、動作は遅いわ、何も出来ないわで、一緒に仕事をしていたユーザーからも大不評でした。そりゃそうです。何せ、初めて3次元のOCTが撮れるようになった日に、その場しのぎに作ったプログラムですから。

SmartProjection はこの反省を生かし、かつ、開発を始めたときから一緒に仕事をしているお医者さんたちの意見を入れながら作ったプログラムです。また、SmartProjection を作成する頃には僕自身も臨床に興味を持つようになっていましたから、「使う側が快適な」ソフトを目指しています。

こうして説明していると、なんだかユーザーサイドの視点で作ったソフトのようですが、実はこのソフト、新しく身につけた LabVIEW のプログラミングテクニックを試すための実験プロジェクトでもあります。なので、たまに、無駄に内部アーキテクチャの入れ替えをしたり、データのハンドリング方式をかえたりして、外から見えない効率を上げたりするわけです。作りこみ!作りこみ!作りこみ!です。

こういう作りこみ系のバージョンアップ、実は、ユーザーからはあまり受けないんですね。一生懸命内部アーキテクチャを整理しても、使ってるお医者さんからは「ふーん。で?」とか言われてしまうわけです。まあ、そりゃそうです。僕自身も、使ってるソフトのバージョンアップのリリースノートを見て「メモリ効率が最適化されました」とかだけ書いてあると「えー、そんだけー?」と思ったりします。

結局、そういうバージョンアップって、ユーザーからすれば、開発者の自己満足なんですね。(ほんとうは先々効いてくる重要な改良なんですが。)自己満足、それはわかっているのです。でも、開発者としては、手をかけたいのです。手をかけて手をかけて手をかけて、もう、プログラムがかわいくてかわいくてしょうがないのです。「はえば立て、立てば歩めの親心」です。「ああ、今日は、データの読み込みが 5% 早くなったね」、「ああ、今日は内部データの扱いが統一形式になったね」と。もう、かわいくてかわいくてしょうがないのです。このままではヤバイ32歳(独身)です。でも、プログラムって、手をかければ手をかけるほど、しっかりと育っていくのです。かわいいものです。

こうして考えると、物作りは人を育てることに似ています。手をかければ手をかけただけ人は育つものです。でも、それは、いい子いい子の手取り足取りではなく、時に内部のアーキテクチャを全書き換えするくらいの荒療治であり、非効率なルーチンでも、単に取り除くのではなく、何度も何度も実行して非効率な理由を探し出すような気の遠くなるデバッグでもあります。でも、結局言える事は、手をかければ手をかけてだけ人は育つし、プログラムは良くなる、ということではないかなあ、と、思ったりもするわけです。

Joschi

2007年4月11日水曜日

空との距離の話

デジタル・デバイドって、あるじゃないですか。デジタル技術活用できる人と、そうじゃない人で立場に差が出てくるってやつです。僕、自分は、デジタル・デバイドでいえば、「活用できる」側だと思ってました。ファミコンが発売されたのも小学校中学年の時だし、子供の頃から BASIC でプログラム組んでたし。未だにちゃんと最先端を走っていると思っていました。先日、同僚の、と、ある行動に遭遇するまでは。

その日、朝晴れていた空は昼には曇りだし、そして夕方には雨が降り出しました。その日、僕は自転車で職場に来ていました。朝、晴れていましたから。朝晴れているときには、出来る限り車ではなく自転車で通勤するようにしています。メタボ、怖いですから。でも、当然の事ですが、自転車で来ている日には、帰る時の天気が気になります。今の仕事は帰りも遅いし、最近春なのに寒いし。寒い日の雨の夜、ズボンのすそをぬらしながら自転車を押して家路をいそいでいると、本当に、悲しい気持ちになるのです。

雨の夕方が過ぎ、夜遅くなり、そろそろ帰ろうかと思った僕は、自分のデスクのPCの画面を見つめたままで、なにげなく「まだ、雨ふってんのかな?」と言ったのです。特に誰の答えも期待せず。

10秒ほどの沈黙の後、僕の後ろの席に座っている山成君がネットをチェックしながら言ったのです。「衛星写真だと、この辺に雨雲はないですね…」

え?え!えぇ!!衛星写真!? いや、そうか、うん、確かに。衛星写真は現代の天気予報の基本。衛星写真を使うことで現代の天気予報は格段に的中率があがったのです。いわんや、今現在の天気おや。しかも、いまや、衛星写真なんてネットですぐに手に入ります。「衛星写真×今の天気=100% 的中」の方程式です。

でも、僕ならそんな時どうするかなあと。多分、窓の外を見ます。だって、顔をちょっと回せば窓ですから。「窓の外=今の天気」の方程式です。でも、デジタル「使える側」にいたはずの僕の使った方程式は、同じデジタル「使える側」だと思っていた山成君の使った方程式と違ったのです。いや、でも、そういう問題でもなく…。なんというか、僕が言いたいことは、そういうことではないのです。その、あの、えーと…

「窓のそとみりゃいいじゃん!」

そう!これです。いや、確かに、彼の方程式は正解です。衛星写真見りゃ、雨かどうかぐらいわかります。立ち上がって3歩あるきゃ今の天気はわかんじゃん!なんでわざわざ大気圏外まででるんだよ!!宇宙経由ですぐ横の天気確認かよ!

まあ、吠えてみても始まりません。ここで衛星写真じゃなく窓の外を見た僕は、本当はすでにもう、重力に魂を引かれた古い地球人にだったのでしょう。

Joschi

2007年4月8日日曜日

「悪口」と「悪口もどき」の話

『見えないところで友人のことを良く言っている人こそ信頼できる』。フラーという17世紀の神学者の言葉らしいです。まあ、漫画で引用されてたのの再引用ですが[1]。

僕の研究の兄貴分に、いるんですよ。悪口言う人。ある大学の教授なんですが。本人の見えないところで、さらに、本人の目の前でも。でも、彼の言う悪口、なんだか気分がいいんですね。聞いてて、嫌な気がしない悪口なんです。

先週、その先生が筑波に来ました。その時、いっしょに飲みにいったのです。で、やっぱり言うんですよ。悪口。そこにいない人間の悪口も、いる人間(僕!)の悪口も。口が悪いんですね。でも、聞いてて気分がいいんです。なんだか、さわやかな悪口なんです。

それで、なんでかなぁ、と、考えてみたわけです。考えて考えて、一つわかりました。その先生の言う悪口は「人」に対する悪口ではないんですね。「行動」に対する悪口なんです。罪を憎んで人を憎まず、というか。「悪い行い」を批判するんです。でも、「人」の事は決して悪く言わないのです。むしろ、よく聞くと、褒めているのです。好きなんですね。人の事が。どんなに誰かを批判していても、結局その人の事が好きなのではないかと思います。いや、「なのではないかと思います」というよりは、そういう感じが、ふわふわ伝わってくるのです。だから、その先生の口の悪さは、他人のことを言われていても、自分のことを言われていても、聞いていて気持ちがいいんだと思います。悪口のふりをした褒め言葉というか、なんというか。愛情表現なんですね、たぶん。本人は否定すると思いますが。だから、堂々と本人の前でも、当人の悪い点を指摘するんだと思います。愛情表現ですから。影でこそこそやっていても、気持ちは伝わりませんから。まあ、本人はさらに否定すると思いますが。

その先生のそういうところ見ていると、僕なんかは、まだまだダメだなあ、と思います。他人の事悪く思わないようにしていても、ちょっとしたことでダークサイドに落ちてしまいます。人を嫌いになってしまうこともあるし、感じている以上に人の事を悪く言ってしまうこともあります。あとで反省しても、一朝一夕にジェダイに戻れるわけではありません。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、努力はして行こうと思います。

それで、いつか、僕も、その先生のような『見えないところで聞いてて気分のいい悪口』を言うような『信頼できる人間』になりたいと、本気で思ったりもするわけです。

Joschi

2007年4月5日木曜日

立場がかわりました。実は。

先日 4 月 1 日をもって、僕の筑波大学での立場が替わりました。3月までは「助手」(しかも非常勤)だったのですが、4 月 1 日をもって半常勤の「助教」になりました。「助教」です。「助教授」じゃなくて。わかりにくいですね。

実は、本年度から、国立大の職制がかわったのです。今までの大学は「教授」→「助教授」→「講師」→「助手」、という階級制だったのです。これからは「教授」→「準教授」→「助教」という階級制になります。階級です。やっぱり。そして「助教」というのは、今までの講師と助手を合わせた階級らしいです。筑波大学の場合は助手と講師と助教は、給料が同じです、ちなみに。周りからは「昇進おめでとうございます」と言われるのですが、昇進ではないですね。給料上がらないんですから。まあ、僕の場合は、もともとの助手の契約が今年3月までだったので、助教になれたおかげで首がつながったわけですが。

助教と助手、給料はかわらないのですが、仕事はすこし違うようです。助手はあくまでも「教授の研究の補助」が仕事。「研究」が仕事ではないんですね。一方の助教は「研究と教育」が仕事です。まあ、助手の仕事である「教授」の研究の補助ってのはあまりにも現実を見てない定義だったわけです。だって、研究は助手の仕事で、教授は研究しないですもん。こう言うと教授を非難してるようですが、逆です。教授クラスになったら、研究実務なんてしてないで、ちゃんと組織のオーガナイズをして欲しいのです。それが教授の仕事ですし、劫を経て経験積んだ教授クラスしか出来ない専門職でもあります。一方で研究実務は、若い頭で無茶も出来る助手クラスでないとこなせません。

助教という仕事、僕なりに解釈するに「研究もして、グループのオーガナイズもする」そんなマルチな仕事だと思います。やりがいあります。まあ、最近は体力に限界も感じるわけですが、へとへとになったまだ先に、いままで見れなかった景色があるような気もします。だから、やってみようと思います、助教。

安野を助教にするにあたり、学内ではなかり反対意見もあったようです。安野は研究以外の仕事はしないんじゃないかと。実際いままでしてませんでしたし。だって、それは、最初に依頼をうけた職務ではなかったですから。でも、まあ、自分、仕事だったらなんでもやりますよ。それが正式に職務であれば。給料、それでもらうわけですし。

それになりより、いろいろ一生懸命やった先でしか、新しい景色は見えないとおもいますから。

Joschi

2007年4月1日日曜日

谷田貝豊彦に告ぐ!!!

飛天御剣流という剣術があります。その最終奥義が「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」です。この技は師匠から弟子に、最後の最後に継承される技です。そして、この技を継承する方法、それは、弟子がこの技で師匠を倒すことなのです。まあ、漫画の話ですけど[1]。

本日2007年4月1日、COG の母体の一つである筑波大学応用光学研究室の谷田貝豊彦先生が宇都宮大学に移動します。むこうで待っている仕事は、この4月に宇都宮大学に新設された「光学教育センター」を立ち上げ、そして離陸させることです。センター長としての着任です。

僕は、筑波大学応用光学研究室の出身です。1996年、卒業研究の時、この研究室に配属に
なりました。その後、公式には常に応用光学研究室に何らかの席を持ち続けています。その間、電総研(現産総研)、Stuttgart 大学などへ、長期・中期で外に出ていた次期はあります。その間多くの師匠に会いました。でも、やはり、僕にとっての研究の師匠は谷田貝豊彦なのです。

そこから見たら、世の中は、どんな風に見えるのだろう、という場所があります。そういう好奇心を刺激する場所、そして、そんな場所に立っている人たちがいます。。僕にとっては、そこにいる人たちは Hans J. Tiziani[2] であり、Johannes de Boer[3] であり、Wolfgang Drexler[4] であり、そして、何より谷田貝豊彦なのです。

2000年、カナダのケベックで Optics in Computing という国際会議がありました。当時博士課程の学生だった僕は、一人でその会議に出かけたのです。そこには色々な国から研究者が来ていて、僕は挨拶とかしてみたりもするのですが、そこでは僕は「Yasuno」ではなく、「a student of Yatagai」なのです。悔しかったです。僕は「谷田貝の学生」ではなく「安野嘉晃」なのです。日本への帰り道、眠い頭でずっとその事を考えました。そして、日本に帰った僕が最初にしたことは、谷田貝先生のオフィスに出向いて「当分、打倒谷田貝を目標にします」と宣言することでした。谷田貝先生は「なにおう!」と笑っていました。

あれからもう7年のも経つのですが、未だに僕はその目標を達成できないでいます。だから、いまだに、谷田貝豊彦のいる場所から見える世界がどんなものなのか、気になって気になって仕方がないのです。

谷田貝先生の移動が決まってから、およそ2ヶ月、僕はあまりその事を考えないようにしていました。いままでの研究生活、11年、ずっといっしょにやってきたわけですから。やっぱり、なんというか、他に移ってしまうと考えるだけで、しょげてしまうのです。でも、いつまでもしょげててもしょうがないと思うのです。多分、これは、僕にとって最後のチャンスなのです。

筑波大の定年は63歳。谷田貝先生の定年まであと3年でした。それまでになんとか、谷田貝豊彦を超えてみたいと。勝負を始めた頃にはまだまだ時間はあると思っていたのに、最近では、もう、あと3年しかないのかと、あせりだしていました。その矢先の宇都宮大学への移動。宇都宮大学の定年は65歳です。あと3年があと5年に伸びました。延長戦です。そして、僕は、谷田貝豊彦と異なった組織に所属することになります。直接対決です。ついに、この時が来たのです。

それでは師匠、最終奥義の継承をお願いします。

Joschi

[1] 「るろうに剣心」です。
[2] Stuttgart 大学技術光学研究所 前研究所長
[3] Massachusetts General Hospical OCT グループのリーダーの一人です。
[4] Cardiff 大学の OCT グループのリーダーです。