2007年7月31日火曜日

ベンチャーキャピタルから大学へ。直接投資って、どうでしょう。

最近漠然と考えるのですが「大学の研究室にベンチャーキャピタルが出資する」というモデルは、成り立たないでしょうか。よく、大学の研究室で成果がでてくると「次はベンチャーですか?」という話を聞くのですが、本当に必ずしも、そんなものが必要なのでしょうか。

大学での研究がある程度形になった時、ベンチャーで起業したとします。その目的は大きく二つ考えられると思います。

(1) 製品を販売することで技術を広める。
(2) 技術を販売することで技術を広める。

この二つ、ソフトウェアなどを対象技術と考えた場合にはほとんど一致すると思います[1]。しかし、ハードに関する技術の場合、この二つは純然と違った扱いをする必要があるでしょう。なぜなら、(1) には「製造」というプロセスが必須なのに対し(2) にはそれが必要ないからです。

この(1)を考えたとき初めて「大学初ベンチャー」の必要性がでてきます。なぜなら、大学は教育、研究機関です。開発と研究は不可分のものであると考えれば、開発までを大学でカバーすることは可能でしょうし、また、教育面へのリターンも大きいでしょう。しかし、「製造」となると話は違います。施設・人員まで含めて製造ラインを確保・維持する必要があるからです。リスクも当然大きくなりますし、製造ラインを維持することが必ずしも(大学の本務である)教育に直結するとは限りません。

つまり、製造+販売を目的とした場合のみ、ベンチャーの創設というのは意味のある選択なのではないかと思います。

一方、「技術」の販売を考えた場合、ベンチャーの創設はかならずしも必要ないと思います。現時点で(国立)大学は製品を販売する機構は持っていません。また、製造・販売は時として本務(研究・教育)とのコンフリクトも大きいものです。

ところが、その一方で、実は、いまの国立大学、「技術」を販売するルートは持ってるんですね[2]。意外と知られていないのですが。しかも、僕たちのような教員が、大学主体での技術を販売を行った場合、営業、契約、知財など多くの部分で大学のリソースを(格安で)利用することができます。

大学発ベンチャー、とくにその初期の規模でCEO、営業、経理などを個別に雇用する必要のあるだけの仕事が、必ずしも発生するとは限らないでしょう。でも、人は「経理 1/3人」みたいに切り身にして雇用するわけにはいきません。かといって必要な職種を一人ずつ雇ったりしたら組織が無用に大きくなります。なにより、人件費がしゃれになりません。

大学の研究室の予算で年間一億といえばちょっとした額ですが、ちょっとした会社でも年間売り上げ一億っていえば「はあ、意外と売れてるんですね」という規模ですよ。うちの実家の料理屋ですら年間一億以上の売り上げがありました。つぶれましたが。

つまるところ、年間一億ぽっち売り上げても、それで社長、営業、経理なんか、会社を「回す」ためにリソースを裂いていけば、たぶん、開発にかけられる人件費、経費はほとんど残らないと、そういうことだと思うのです。小さい組織が攻撃的に生き残るためにはイノベーションを続けていくしかない、ところが、一旦会社組織なってしまうと、勢力の大半を非イノベーションな部分に裂かれてしまうことになるのではないかと。多分、組織がもっと大きくなると、今度はちゃんと会社組織になっているほうがイノベーションに回せる戦力とその効率は上がると思うのですが、なかなかその閾値を超えるところまではいかないと思うのです[3]。そういう意味で、いま世に出ている大学初ベンチャーのかなりの数は、実際は「大学ベース」でやったほうが効率的だと思うわけです。

もちろん、大学ベースではまだ、いろいろとできないこともあります。なにせ国立大学は所詮文部科学省の飼い犬。独立行政法人だなんだと威勢のいいことを吠えてみたところで、文科省様が骨を投げれば尻尾を振っておいかけます。この悲しい習性のために、時として、びっくりするぐらい非合理的なことをやります。予算が繰り越せなかったり、会計監査にびくびくして無駄金をつかったりします。そしてこれが時には、グループ運営の致命傷になったりもするわけです。でも、まあ、目をつぶって取引するくらいのうまみは、あると思うのです。

こういう風に最近の状況をまとめていて、ふと、あることに思いあたりました。まず、前提として、上に書いたように、大学は儲かります。税金で雇ったリソース使えまくれますし、それでヒリヒリするくらいの研究開発をすれば、そこで揉まれた学生も一線の技術屋としてどんどん育って次の技術(飯の種!)を作っていきます。

こんな金の玉子を産む組織、ほうっておく手はありません。あとは、上に書いた大学の限界を解決すればプラチナの玉子を産んでくれます。じゃあ、どうやってさっきの問題を解決すればいいのか。ベンチャーキャピタルの資金を突っ込んで見るってのはどうでしょう。その資金で学生・ポスドクを雇用し、研究開発を行えば、非税金系の資金ですから、会計監査にどうこう言われる筋合いはありません。投資した資金は技術移転(技術販売)を中心に回収していく。そういうストーリーは考えられないでしょうか。

たしかに、会社組織で大規模にやるよりも売り上げは少なくなるかもしれません。でも、大学の管理組織をうまく利用すればその分の経費が圧縮できます。また、大学の組織が使えない程度のレベル(練度)しかなければ、逆に組織のその部分をベンチャーキャピタル主導で作りかえればいいのではないかと、そう思うのです。

資金運用も財務会計も、これを機に、民間の技術導入して作り変えちゃえばいいのです。大学全部がむりなら、中国の中の香港みたいに特別区にして、ある研究室だけ、ある部署だけ民間ノウハウによる大改編。国立大学って言ったって、すでに独立行政法人。いつまでも文科省は守ってくれないし、あんな何もできないダメ親の顔色なんて見て無くても いいと思うのです。勝手に部分独立です。大学の一部を独立組織に!

あ、これ、大学発ベンチャーか…

いやいや、あくまでも大学の中でやりましょう。だって、本当にやりたいことは、大学からスピンアウトすることではなく、技術の根幹を支える(はずの)大学を作り変えることだからです。

Joschi

[1] 実際には、ソフトウェアの場合は (1) サポートを販売する (2) ソフトを販売する、のように対象が変化するという見方もできると思いますが、それはまた別の話。

[2] ただ、交渉のノウハウが無いので買い叩かれてしまうことは多いようですが…。

[3] 中には、一人でなんでもできてしまう「天才的な若者」っていうのがいて、そういう人間はベンチャーで成功したりするんだと思います。でも、天才的な特異点に依存した組織が大きくなる場合には、その特殊な人材(しかもそれは有限なリソースです)に依存しているということ自体が限界になるのではないかと思います。

2007年7月18日水曜日

非暴力・服従という闘争

僕自身は、正直、今の職場の環境に対して、目くじら立てて騒ぐほどの不満は持っていません。多少の不満はあっても、することしてればきちんと研究はできるし、いろんなことを試してみる自由もあります。

でも、このまま諾々と進めていては、僕のいる大学の組織はいつか死に絶えていくのではないかと、そういうふうには思います。だからやはり、何かを変えていこうという、今の状況に対する闘争は必要だと思うのです。

かといって、学生たち、教員、職員が、てんでばらばらに組織に対して抵抗を始めれば、大学はすぐに死んでしまうかもしれません。(個人的には、そういう混乱から起死回生の策が生まれるという気もしないではないですが、死んでしまうリスクも高いでしょう。)

数年前までは、僕自身、今よりだいぶとんがっていたので、すべてにおいてすべからく暴力・不服従ばりばりの闘争方針でした。(あ、もちろん、実際に殴るわけではなくて、攻撃言論ということですよ)、だんだん年をとってくると、攻撃言論もつらくなってきます。で、最近は闘争方針を非暴力・不服従に変えていこうとしていました。特に言論攻撃を行うわけではなく、納得のいかないことには一切従わないという闘争方針です。

ところが、最近、さらに年をとって、不服従というのも骨が折れるようになってきました。それよりなにより、不服従に一生懸命になっていると、本業の研究開発が進まないのですよ。それで税金を無駄遣いしたりした日にはそれこそ本末転倒です。

それで、最近、新しい闘争形態として「非暴力・服従」というのを考えるようになりました攻撃的な言論・発言もしないし、人のいうことには服従します。じゃあ、なんでそれが闘争なのか。非暴力・服従闘争のポイントは一つだけ。どんなに服従しても「いや、まあ、命令であればやりますけど、自分はそれは間違ってると思いますよー」ということだけは、きちんと表明しようと、そういう闘争です。

最初にも書いたように、今の大学組織が、服従することすら問題なような、そこまでの状況ではないと思うのです。今、眼の前にある問題の数々にしたって「これに服従することで研究・開発ができて、さらに、それによって次の世代の技術屋が育つのであれば、まあ、眼をつぶって取引しようか」という、そういうグレーゾーンなのです。

でも、このまま、いつまでもこのグレーゾーンに続けては、いつかは組織はだめになっていくのではないかと、こうも思うのです。

だから、どんな変な条件にも対しても、それに眼をつぶって取引するのはよくないと思うのです。なので、まあ、半眼をぐらいで取引しようかと。

僕は基本的に利益至上主義なので、目の前にある利益はいただいちゃって、その上で、隙間を埋める闘争を、自分に対して嘘のないように進めていこうかと、こういうことを考えています。

Joschi