2007年5月27日日曜日

声出せ、声! という話

大学院を卒業してからしばらくしたころ、僕はドイツのシュトゥッツガルトに滞在して共焦点顕微鏡のプロジェクトを手伝っていました。この滞在は僕にとって初めてのドイツ訪問であり、また、僕にとって初めての言葉の通じない外国で働くという経験でした。なんとか成果を挙げないといけないというプレッシャーもありましたし、それよりなにより、いろんな事を相談できる相手がいないというのもきつかったのです。そういうストレスでふらふらになりながら、僕が毎晩欠かさなかったのがドイツ語の勉強です。簡単なテキストを、CDを聞きながら、何度も何度も声に出して繰り返し読んでいました。今になって考えると、あのドイツ語の練習が、うまい具合にストレスを減らしてくれていたのかなあと思います。

技術というのは、まだろっこしいものです。技術屋がどんなに「人の役に立つ技術を作ろう」としても、結果的に、それが使えずにストレスを感じて胃に穴があく人もいれば、間違った使い方をして怪我をする人もいます。それどころか事故を起こして死んでしまう人までいます。技術屋は、人を幸せにするような技術を作っていきたいのだけれど、それが本当に人を幸せにするかどうかは、それはまた、別の話なのでしょう。

以前、僕がまだ学生だったころ、自分の実家まわりでいろんなごたごたが起ったことがあります。まあ、事態は当時の僕がどうこうできるレベルを超えてしまっていたので、僕としてはおろおろするばかりです。そんなとき「絶対に人を幸せにできるものってなんだろう」と考えました。で、僕の結論は「歌」と「笑い」でした。まあ、理由は単純。その時僕が「歌」と「笑い」で楽になったからです。辛くて飯も食いたくないような時でも、ちょっと鼻歌を歌うと楽な気分になりますし、笑ってる場合じゃなくても、テレビでお笑い番組でも見てあははと笑うと、だいぶんと楽になったりもするのです。不謹慎で、子供っぽいのでしょうが、事実、そうだったのです。

この「歌」と「笑い」、どうして人を楽にさせるのでしょうか?楽しい歌だから、楽しいネタだから、ではないと思います。だって、悲しい歌でも大声で歌うと楽になるし、人情話みたいな悲しい落語でも、聞けばすこし楽な気分になります。実は、僕、この原因、もっとすごく単純なものではないかと思うのです。それは「声を出す」ということです。

人が死ぬと、お通夜をして、お葬式をします。で、お通夜やお葬式ではお経を詠みます。まあ、このへんは宗教、宗旨、宗派によって違うのでしょうか、大多数の日本の家庭ではお経を読むのではないかと思います。僕これ、不思議だったんですね。人が死んで残された家族は悲しんでいるのに、意味も理解できないお経を延々読まされるわけです。悲しくてそれどころじゃないはずです。

この謎は、僕の祖母のお葬式の時になんとなく氷解しました。あんなに悲しかったのに、お経を声に出して詠んでいると、なんとなく楽な気分になったのです。多分、意味のわからないお経を「声を出して詠む」というのがポイントだったのです。声を出すから、人は楽になるのです。たぶん、お葬式、そしてお経というのは死んだ人のための儀式ではなく、その近くで生きて悲しんでいる人たちを救済する機巧なんだと思います。だから、お経には独特の節が付いているし、だまって「読む」のではなく声に出して「詠む」のでしょう。なんの根拠もない推論ですが、実際に祖母の葬儀の際に僕が楽な気分になったことは確かです。

判ってしまえばからくりは単純です。「声」さえ出せばいいのです。それだけで人は楽になるのです。だからいらいらした時とか「ああ!」とか、意味のない声を出すだけですこし落ち着いたりするのでしょう。僕はやったことないですが、ストレスたまった時とか、大声で叫びながら街中走りまわったら気持ちいいでしょうね。でも、まあ、そこは文明社会、そうそうそんなことするわけにもいきません。替わりに自宅で一人、ぶつぶつ何かを声にだしているだけでもだいぶ気分は楽になったりするのでしょう。でも、まあ、それはそれでやばい風景ですね。気分がすっきりして我に帰った後、またしょげてストレスたまってしまいそうです。無限道です。

で、最初の話に思い当ったわけです。多分、僕がドイツにいたとき、必要に迫られてやっていたドイツ語の勉強が、結局、ストレスのマネージメントになっていたのではないかと。語学の練習は、声を出します。しかも、きちんと大きい声で発声したほうが上達も早いと思います(僕の経験上ですが)。だから、語学の勉強である限り、ひとりで大きな声を出していても、ぜんっぜんやばくないのです!奇声をあげて夜中に町中をはしりまわるのとは大違いです。後で我に返ってしょげることもありません。人に聞かれても「あ、ドイツ語の勉強してた」と言えばいいのです。「熱心だねー」と、むしろ褒められるかもしれません。しかも、語学力が上達するという思わぬメリットまであります。

この方法、かなり使えると思います。たとえば僕たちエンジニアにとって、英語は必要なスキルです。でも、忙しすぎてただでさえストレスたまってるのに、この上英語の勉強なんてやってられっか!と、まあ、普通は思いがちです。でも、英語の勉強がそのままストレス解消になるとしたら話は別です。英語も身についてストレスともおさらば。夢のようです。日々のストレスにさいなまれている皆さん、語学の勉強でもしてみてはどうでしょう?疲れて家に帰ったら、大きな声でテキストの音読です。何もせずに風呂入って寝るよりは、疲れがとれると思いますよ。

Joschi

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