2007年7月18日水曜日

非暴力・服従という闘争

僕自身は、正直、今の職場の環境に対して、目くじら立てて騒ぐほどの不満は持っていません。多少の不満はあっても、することしてればきちんと研究はできるし、いろんなことを試してみる自由もあります。

でも、このまま諾々と進めていては、僕のいる大学の組織はいつか死に絶えていくのではないかと、そういうふうには思います。だからやはり、何かを変えていこうという、今の状況に対する闘争は必要だと思うのです。

かといって、学生たち、教員、職員が、てんでばらばらに組織に対して抵抗を始めれば、大学はすぐに死んでしまうかもしれません。(個人的には、そういう混乱から起死回生の策が生まれるという気もしないではないですが、死んでしまうリスクも高いでしょう。)

数年前までは、僕自身、今よりだいぶとんがっていたので、すべてにおいてすべからく暴力・不服従ばりばりの闘争方針でした。(あ、もちろん、実際に殴るわけではなくて、攻撃言論ということですよ)、だんだん年をとってくると、攻撃言論もつらくなってきます。で、最近は闘争方針を非暴力・不服従に変えていこうとしていました。特に言論攻撃を行うわけではなく、納得のいかないことには一切従わないという闘争方針です。

ところが、最近、さらに年をとって、不服従というのも骨が折れるようになってきました。それよりなにより、不服従に一生懸命になっていると、本業の研究開発が進まないのですよ。それで税金を無駄遣いしたりした日にはそれこそ本末転倒です。

それで、最近、新しい闘争形態として「非暴力・服従」というのを考えるようになりました攻撃的な言論・発言もしないし、人のいうことには服従します。じゃあ、なんでそれが闘争なのか。非暴力・服従闘争のポイントは一つだけ。どんなに服従しても「いや、まあ、命令であればやりますけど、自分はそれは間違ってると思いますよー」ということだけは、きちんと表明しようと、そういう闘争です。

最初にも書いたように、今の大学組織が、服従することすら問題なような、そこまでの状況ではないと思うのです。今、眼の前にある問題の数々にしたって「これに服従することで研究・開発ができて、さらに、それによって次の世代の技術屋が育つのであれば、まあ、眼をつぶって取引しようか」という、そういうグレーゾーンなのです。

でも、このまま、いつまでもこのグレーゾーンに続けては、いつかは組織はだめになっていくのではないかと、こうも思うのです。

だから、どんな変な条件にも対しても、それに眼をつぶって取引するのはよくないと思うのです。なので、まあ、半眼をぐらいで取引しようかと。

僕は基本的に利益至上主義なので、目の前にある利益はいただいちゃって、その上で、隙間を埋める闘争を、自分に対して嘘のないように進めていこうかと、こういうことを考えています。

Joschi

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